Beautiful Sundayと研修医時代
2016年7月19日、Mテレビから「伊丹では、40年前から盆踊りにビューティフルサンデーが踊られているが何故か?40年前踊られていた病院の講堂で取材したい」と電話があった。
午後6時、伊丹市車塚にある公立学校共済組合近畿中央病院(近中伊丹)に、取材の下見に行った。40年前は2階建てで、1階は内科外来、2階は医局とビューティフルサンデーを踊っていた講堂があった。今は6階建て
表示になり、すっかり変わっていた。
7月20日、伊丹夏まつり実行委員会から、「7月31日日曜日、伊丹小学校の盆踊りに田中星児さんが来られるので、7時に来て一緒に食事をして下さい。40年前、一緒にビューティフルサンデーを踊っていた看護師さんを呼んで、踊ってもらえないか」と電話があった。
振り付けをした研修医同期のM君とO君に「7月31日に田中星児とMテレビが来る。40年前、一緒にビューティフルサンデーを踊った看護師さんと連絡が取れないか」と電話をした。2人とも、当時の看護師さんとは、交流していなかった。M君は「近中の頃は、よかったなあ。あの頃に戻りたい」、O君は「近中時代は、自由に何でもできて、楽しかったね。今の研修医は忙しくて、かわいそうだね」と、昔話に花が咲いた。
近中時代、病院から頼まれ、尼崎市にある「厚生専門学院」で、内科学(循環器・呼吸器・内分泌・神経・血液)の講義をしていた。講義での謝礼は全て、講義用の教材に使った。心臓の模型は当時5万円、肺の模型は10万円した。物置をさがすと、40年前の心臓模型
表示が残っていた。僧房弁・三尖弁も和紙できれいに作ってある。
厚生専門学院の講義(1977年6月1日)に行くと教壇の机の上に、果物の籠が置いてあり、「50歳の誕生日、おめでとう」とユーモア?のあるメッセージが入っていた。近中伊丹の内科病棟で准看として働きながら、正看の資格を取りに通っている生徒が3人いた。彼女たちが、私の誕生日を知っていたのだろう。20代の頃は、50歳は年寄だと思っていたが、今はみんな60代だ。
7月24日日曜日午後6時10分、子どもたちが通っていた鈴原小学校に行った。盆踊りを観に来るのは、1985年から31年ぶりになる。伊丹の盆踊りは12の小学校
表示を中心に行われ、みんなで盆踊りをするには、規模的にもちょうどいい。1500人近い人がおり、Aテレビが撮影に来ていた。
ビューティフルサンデーが6時15分と35分に流れ、子どもや若者、浴衣姿の中高年女性(伊丹民謡協会?)
表示が踊っていた。私たちが振り付けをしたビューティフルサンデーは、2人で踊るジルバのステップを、全員が輪になって踊るものだったが、若い人は飛び跳ねるなど、ステップが進化している。手をつなぐ所がなく、両手を挙げて左右左左で手を叩くところなど大きく違っていた。
ビューティフルサンデーは40年間、伊丹の盆踊りの定番になっている。これは、伊丹が庶民的な街で、盆踊りを継承する組織があり、みんなが踊りに参加できる小学校単位の規模だったからではないかと思った。