伊丹盆踊りと田中星児・ビューティフルサンデー
2016年7月31日日曜日、市立伊丹小学校で「第25回伊丹ふれあい夏まつり」が開催された。
午後6時40分、帰省中の娘と孫をつれて、伊丹小学校に行った。雨上がりで、校庭
表示はぬかるみになっていた。
午後7時、玄関で待っておられた実行委員会の人と校長室に行くと、田中星児さんとマネージャーの方が弁当を食べられていた。田中星児さんが歌ったビューティフルサンデーは、1976年80万枚ヒットし、その年の紅白歌合戦に出場されている。伊丹市では、盆踊りで40年間、ビューティフルサンデーが使われている。
田中星児さんは、私より2歳年上だが、10歳は若く見える。クリエイティブな仕事していると老けないのだろう。田中星児さんと向かい合って、弁当を食べながら話をした。田中星児さんは、午後4時に大阪へ到着、FMラジオに出演した後、ここに来られたという。
午後7時30分、「ビューティフルサンデーの踊りを見ておきたい」と言われ、外に出て行かれた。帰って来られて、「難しい踊りなのに、みんな踊り慣れて、すごい熱気ですね。ジルバのような感じですね」と言われた。私は「40年前、私たちが病院で踊っていたビューティフルサンデーは、ジルバのステップを基本に振り付けをした。ステップも進化している」と話した。
田中星児さんは、一目見てジルバが基本にある盆踊りだと気付かれた。私が大学生の頃の1970年代前半、ダンパではジルバが流行っていた。同年代の田中星児さんもすぐにわかったのだろう。
田中星児さんはマネージャーに「伊丹の人はリズム感がよく、乗っている。最後に歌う3曲は新曲ではなく、みんなが知っている曲に変えよう」と言われ、3曲全てをチェンジされた。数分の間に、観客層を分析し、選曲されたことに、さすがプロだと思った。
校長室へ、藤原保幸伊丹市長といっしょにMテレビ、Aテレビ、S新聞、A新聞の方が入って来られた。田中星児さん、藤原市長、佐々木憲治実行委員長と4人で記念写真を撮った。
午後8時、校庭はぎっしり人で埋まった。3000人はいるだろうか。田中星児さん
表示は、やぐらの上でビューティフルサンデーを2回続けて歌われた。金曜日に練習されたという藤原保幸市長も、やぐらの上で踊られていた。
田中星児さんの声は、若い頃と違わないくらいいい声で衰えていない。一緒に聴いていた新聞記者は「伊丹民謡協会の小野敏夫さんは、尼崎で観て始めたと言われている。自衛隊でも踊っていた。ビューティフルサンデーの起源が、まだよくわからないんですよね」と言われる。全国各地で芽は出たが、伊丹が育て、伊丹名物になったのだろう。
午後8時50分、再び登場
表示、北風小僧の寒太郎、おにのパンツ、リズム感のある曲の3曲、最後に予定通りビューティフルサンデーを歌われた。これで終わりかと思った瞬間、「アンコール!」「アンコール!」の大合唱が始まった。
聴衆全員が、大きな声で「アンコール!」と叫んだ。田中星児さんは「声が十分出るかわかりませんが、歌わせてもらいます。この日のことは、一生忘れません」と話され、ビューティフルサンデーを熱唱された。