広島カープ「津田恒美物語」と真っ向勝負
2016年10月20日、大阪市北区北新地にある「クラブ関西」で異業種の会があった。
午後6時、寺田夢酔氏による講演「炎のストッパー 津田恒美物語」があった。寺田氏は大阪府八尾市出身で、"演劇集団よろず"を主宰、脚本・演出・俳優としても活躍され、NHK「歴史秘話ヒストリア」などに出演されている。
寺田氏は「父が広島県世羅出身、母が尾道市向島出身だったので、小さい頃から広島カープファンだった。津田恒美投手は、1981年ドラフト1位で広島に入団、11勝6敗で新人王を獲得した。故障が多く、阿南監督が抑え投手にし、1986年には阪神バースをストレートだけで3球3振に打ちとった。津田は強打者に敢然と立ち向かう"真っ向勝負"の投手だった。津田が投げるときは、リリーフに失敗しても、監督・選手・ファンみんなが納得していた。
津田恒美(つだ つねみ)は1993年、脳腫瘍で32歳の若さで亡くなった。私も幼いころ大病を患ったので、病気と闘う津田恒美の演劇を作ろうと思っていた。劇団創立15周年目から6年間、津田恒美物語の公演を行なっている。舞台では、投手の時から病気でやつれた時まで、同時に演じなければならない。公演の前にはダイエットで10kg減量し病人らしく、投手時代を演じる時はユニフォームを工夫しスポーツマンらしくしている。
投球フォームは達川捕手に直してもらい、DVDを見ながら毎日100球投げる稽古をした。安仁屋コーチから"よく似ている"と誉めてもらった。津田は病気の時も没後も、同僚・ファンから慕われる選手だった」と話された。
私も津田投手のように、"真っ向勝負"が好きだ。1992年9月16日の大阪府医ニュースには「五連続敬遠と内臓脂肪症候群
表示」のタイトルで、高校野球でも医学研究でも正々堂々と"真っ向勝負"すべきだと書いている。
講演後、食事をしながら右隣りの新聞社の人と話をした。「どうして広島カープは、若手のいい選手が育つのか」聞くと、「カープはスカウト陣がいい。全国を回って、菊池選手や丸選手を発掘した。選手は実戦でないと成長しない。黒田投手は、負けても使ってもらい大投手になった。黒田は育ててくれたカープに恩義を感じ、カープだから日本に帰ってきた。黒田は津田の熱い心を受け継ぎ、若手投手は黒田の気持ちを受け継ごうとしている」と答えられた。
また、新聞社の人は「先生が言われていた通り、オプジーボが問題化していますね」と言われた。2016年7月異業種の会で、同じテーブルの人たちに、超高額医薬品の話をしたのを覚えておられた。今朝の新聞
表示は全て、オプジーボなど超高額薬の記事を載せていた。
以前、厚労省OBの友人は「医療費のパイは限られている。どこかのパイが大きくなれば、他のパイは小さくなる」と言っていた。超高額薬が膨張すると、政治力のない病院の診療報酬が下がる可能性が高い。病院勤務医の給料はそのままで、医療が高度医療しても人員は増員されず、勤務医は過重労働になるのだろう。
広島カープ伝説の"炎のストッパー 津田恒美投手"は、真っ向勝負の男だった。「徳不孤 必隣有
表示」。真っ向勝負の人の周りには、自然と支持する人達が集まってくる。