後水尾天皇ゆかりの閑臥庵と京懐石普茶料理
2016年12月10日、京都市北区烏丸通鞍馬口にある後水尾天皇の御用邸「閑臥庵(かんがあん)」に京懐石普茶料理を食べに行った。
午前11時50分、黄檗宗の禅寺瑞芝山"閑臥庵(写真
表示左)"に着いた。閑臥庵は、山号を瑞芝山(ずいしざん)という禅寺で、黄檗山萬福寺6代目管長が1671年開山。御所の祈願所として後水尾(ごみずのお)天皇が"閑臥庵"と自ら命名し、静養所として利用されている。現在の那須の御用邸のような所だ。
至る所に、菊の御紋があった。明治の廃仏毀釈の時は、後水尾天皇の静養所だったことから、珍しく神社と寺院の両方が残っている。
後水尾天皇(1596~1680年)は第108代天皇で、36人の子宝(19人の皇子と17人の皇女)に恵まれている。中宮(皇后)は徳川家康の孫・徳川和子で、第2皇女は第109代明正天皇になられている。典侍(宮中における高級女官)との間に授かった第4皇子は第110代後光明天皇、第8皇子は第111代後生天皇、第19皇子は第112代霊元天皇になられている。典侍制度は、明治になり廃止された。
普茶料理は、江戸時代初期の1654年、黄檗宗の伝来とともに日本に伝わった精進料理で、季節の新鮮な素材を使い、肉魚介類を一切使わず、盛り付けが美しい。
大学時代のクラスメートお勧めの「閑臥庵の京懐石普茶料理」は、50年前に始まり、2人でも食べることができる。座敷かと心配したが、畳の上にテーブルと椅子があり、膝・足の悪い人でも行くことができ、トイレも洋式ウォシュレットで高齢者に優しい。食事をした個室
表示は東側の庭に面しており、外に紅葉が見える。閑臥庵は築345年で、当時のまま残っており、後水尾天皇もこの部屋を使われていたという。
最初に、お抹茶と京菓子が出てきた。煮合せ
表示は生麩・人参・高野豆腐など8種類で、全て昆布のみで味付けをしてある。梅干しの日の出揚げに、吉野葛をかけた温かいお汁。揚油(ヤンフー)
表示は、蘭の花・茄子・桜海老のように細く切った紅生姜・舞茸などの天ぷらだった。春は庭に咲いているツツジの花を天ぷらに使うという。
雲片(ウンペン)くず引き
表示は、グリーンピースなど宇宙を象徴する黒、白、赤、黄、青(緑)の五色が使われていた。胡麻豆腐と毬栗
表示の形のものが出てきた。イガグリは、薩摩芋の団子の全面に、茶素麺が1本1本、時間をかけて丁寧にさしてあった。
小松菜の和え物と近江八幡の麩辛子和え。生麩巻湯葉にかかった葛のあんかけと生姜は、暖房のない時代、体を温めてくれたという。酢の物は、生のジャガイモを細く切った物だった。
後水尾天皇が、くつろぎながら眺められていた北側の枯山水庭園
表示は、よく手入れされており、紅葉は鮮やかな色をしていた。閑臥庵の寺院
表示に行くと、中には後水尾天皇御宸筆の「閑臥庵」の書、十二支を描いた「伊藤若冲の版木」などが展示されていた。
京都閑臥庵の京懐石普茶料理は、一品一品が手の込んだもので、高たんぱく・低カロリーの健康食だった。300年以上前に御水尾天皇が住まわれた部屋で、紅葉を眺めながら、同じ空間を共有することができた。