山陰松江の食と産科医不足・働き方改革
2017年5月6日、島根県松江市へ観光旅行に行った。
午前10時50分、広島庄原市高野町の松江道高野インターにある「道の駅たかの」に寄った。高野町には、高校時代の同級生が何人かいる。外ではアップルパイやアスパラ比婆牛巻炭火焼
表示、館内の"わいわい高野市場
表示"ではりんごワインなど売っていた。
高野町は雪が多く、雪室
表示があった。今年2月9日、日本中が大雪になった日、庄原市高野町の24時間積雪量は71cmと全国一を記録している。
松江道の長いトンネルを抜けると島根県雲南市になり、さらに進むと三刀屋木次インターがあった。2007年11月25日、三刀屋小学校で「メタボリックシンドロームとその予防」の講演(メタボ教室第98段「標準体重ネーミング」)をした時は、松江赤十字病院の先生が出雲空港まで迎えに来られた。
松江道から山陰道に入り、松江市に着いた。松江に来たのは2007年6月4日、島根県の保健師さんを対象に、「メタボリックシンドロームの保健指導」の講演(メタボ教室第51段「文人ゆかりの街」)をした時以来だ。保健師さんは、「島根県は産科医が減少しつづけている。島根県は東西に長く、産科に行くのに時間がかかる」と言われていた。
午後1時40分、松江皆美館で"鯛めし御前
表示"を食べた。鯛めしはご飯の上に、鯛のそぼろ・玉子の白身と黄身の裏ごし・ねぎ・わさびをのせ、秘伝の出汁をかけて食べる。皆美館の庭
表示は枯山水形式で、館内には田辺聖子・司馬遼太郎の色紙や川端康成・岡本太郎・湯川秀樹の写真が飾られていた。松江城、武家屋敷、小泉八雲旧家など見学し、山陰道・松江道・中国道を通り、1時間20分で庄原市に着いた。
午後6時50分から3時間、高校時代のクラスメートと話をした。「庄原の街は、目立って空き家が増えている。庄原市の人口は減少しつづけており、このまま産業が育たないと消滅都市になる。産科医不足と子供の教育が、企業誘致のネックになっている」と言う。
私は「産科医は3人必要で、人口5万人以上いないと採算がとれない。3万8000人の庄原市では、産科の採算が取れない。広島市や福山市は医師過剰になっている。6人の産科医を雇用し、家族は教育環境の整った広島市か福山市に住んでもらえばいい。
週3~4日庄原日赤病院で産科医として働き、残りは家族のいる広島市か福山市で暮らしてもらう。3か月ごとに交代し、3ヵ月庄原で働き、3ヵ月は家族と暮らしてもいい。働き方改革をするといい」と話した。
2007年11月4日、庄原グランドホテルで行われた庄原格致高校同窓会総会で、「内臓脂肪とメタボリックシンドローム」の講演をした。懇親会の後、喫茶店で高校時代の3年A組クラスメート5人に、「庄原市には産科医がいなくなった。故郷のため、庄原に帰って産科をしてくれないか」と、説得されたことがある。
中山間地域は、産科医不足で企業誘致が難しくなっている。働き方改革では固定観念をなくし、週の半分を田舎の病院で産科医として働き、残りは都市に住むなど、多様な働き方を工夫するとよい。