私の肥満症学「適塾」と内臓脂肪型肥満
2017年10月7~8日、大阪国際会議場で「第38回日本肥満学会」が開催された。
10月7日午後1時35分、会長講演「私の肥満症学"適塾"」があった。下村伊一郎会長は「私が肥満研究を志したのは、学生時代に松澤佑次先生の講義で、何度もCT画像をみて、内臓脂肪が重要だと思ったからだ。松澤佑次先生は、私と同じ和歌山県立田辺高校出身で、高校3年の時の担任の先生も同じだった。明るい研究室で、切磋琢磨していた。
大阪大学医学部のルーツは、大阪北浜にある緒方洪庵の"適塾"から始まった。緒方洪庵は、適塾で、たいまつの火
表示を弟子たちに移し続けた。弟子たちの火は、後にそれぞれの分野で輝いた。緒方洪庵の弟子には、福沢諭吉などいる。大阪大学の肥満症研究も、内臓脂肪型肥満からアディポネクチンとたいまつの火が移し続けられている」と話された。
座長の松澤佑次阪大名誉教授は「田辺市からは、Natureに何篇も論文を載せた南方熊楠が出た。田辺市の面積は大阪市の4倍、人口は60分の1、人口密度は240分の1になる」と話された。
大阪大学の肥満外来は、石川勝憲先生(島根県太田市県立仁摩高校出身)によって1962年に創設され、私は大阪大学で1974年から19年間、肥満症研究をした。私の故郷、広島県庄原市からは作家の倉田百三が出た。庄原市は西日本一広く、大阪市の面積の5.6倍、人口は75分の1、人口密度は28.8人/km2になる。昭和の頃は、よく田舎自慢をしたものだ。
適塾には山口県の56名を筆頭に、北海道から鹿児島まで636人の塾生が集まっていた。緒方洪庵(岡山県出身)の弟子には福沢諭吉、大村益次郎、大鳥圭介、池田謙斎(東大初代医学部長)、長与専斎(内務省初代衛生局長)佐野常民(日赤初代総裁)、高峰譲吉、手塚良仙らがいる。
昭和の頃、毎週火曜日夕方から、狭い研究室に石川先生・松澤先生を中心に全員が集まり、鈴なりになって議論や田舎自慢をしていた。阪大医学部が中之島にあった頃は、四季折々、近くにある適塾の離れの2階に行き、塾生が切磋琢磨していた部屋で、塾生に思いを馳せていた。
10月8日午前10時30分、カナダのデプレー教授
表示による特別講演2「ライフスタイルを標的とした内臓脂肪型肥満のマネージング」があった。
デプレー教授は「CTスキャンで内臓脂肪を測定すると、内臓脂肪型肥満は合併症が多い。減量には食事+運動が有効だ。疫学調査で、ウエストを最も大きくする食物はポテトチップ、次はフライドポテト・・」と講演され、最初のスライドに、私の論文(IJO 1983
表示)のCTスキャン画像
表示を引用されていた。
デプレーと会うのは、ストックホルム・トロントなど7度目になる。よく覚えてくれていて、講演後、壇上から降りて来たところで、握手をかわした。写真
表示は27年前のデプレーだ。人生は長いようで、思っていたより短い。
大阪大学の肥満症学は、緒方洪庵の「適塾」のように、石川勝憲・松澤佑次・徳永勝人・藤岡滋典・船橋徹・中村正・木原進士・下村伊一郎・前田和久・前田法一・西沢均へと絶えることなく灯しつづかれている。