「沖縄の歴史」と沖縄基地移転
2018年3月27日、衆参予算委員会で「森友学園への国有地売却」に関する財務省の決裁文書改ざんをめぐり、佐川宣寿前理財局長の証人喚問が行われた。
午後11時、Yテレビの「NEWS ZERO」を観ていると、天皇皇后両陛下の沖縄訪問を放送していた。天皇皇后両陛下の沖縄訪問は、1975年から43年間で、11回目の訪問となる。ニュースでは、1975年7月17日、沖縄県糸満市で起こった「ひめゆりの塔事件」で、皇太子夫妻に向かって、火炎瓶を投げつける当時の生々しい映像が写し出されていた。
私の叔父・故沖原豊広島大学元学長は、広大教育学部教授時代、皇太子明仁親王・美智子妃に「沖縄の歴史」を御進講していた。写真
表示(1954年8月:広島市にて)左が叔父で、その隣が幼少時の私だ。叔父は生前、「皇太子夫妻は、周囲の反対を押し切って沖縄訪問された。私が沖縄行きをお勧めさえしなかったら、あのような不幸な出来事(ひめゆりの塔事件)は起こらなかった」と悔やんでいた。
2018年3月21日春分の日午前8時、Aテレビの「羽鳥慎一モーニングショー」を観ていると、沖縄基地移転の話をしていた。
玉川徹コメンテーター(京大農学部卒)は「2009年10月、鳩山由紀夫総理は内閣官房、G省2人、B省2人の6人で会議を開き、普天間基地を県外の徳之島に移すことを決めた。翌朝の新聞に"最低でも県外"の記事が載った。6人のうちの誰かがマスコミに、リークしたのだろう。
鳩山総理は"県外の徳之島に移転する"と発表しようとしたら、G省の人が米国とかわされた極秘文書を持ってきて『"移転先は沖縄から120km以内でないといけない"となっており、徳之島は沖縄から遠いので移転できない』と言った。
後に米国に問い合わせると、日本とそのような取り決めをしたことはないということが分かった。G省の文書は"嘘の文書"だった。G省の方針が、鳩山総理の方針と合わなかったので、嘘の極秘文書を作成し、沖縄基地の県外移転を阻止したのだろう」と話された。
玉川氏の話を聞いて、私は愕然とした。この8年間、徳之島への県外移転に失敗したのは、鳩山総理の優柔不断さによると信じ込んでいたからだ。私が徳之島への県外移転を知ったのは2009年の10月で、S新聞OBと食事をしながら話をした時、「沖縄の基地移転先が、徳之島に決まった」と聞かされた。
2009年12月、「鳩山総理は、なかなか徳之島への基地移転を発表しないが何故か」とS新聞OBに聞くと、「総理周辺が、待ったをかけている。鳩山総理は優柔不断だ。発表が遅くなればなるほど、反対運動が起こる。これ以上遅くなると、徳之島移転は難しくなるだろう」と答えられた。
銀行OBの友人は「辺野古周辺の土地は、大物政治家などが買い占めていた。役人に圧力がかかったか、役人が政治家に忖度したのかもしれない。新大阪に新幹線の駅ができたのも、政治家が新大阪周辺の土地を買い占めていたからだ。大阪駅まで新幹線が来ていたら、大阪はもっと発展していた」と言う。
私利私欲で動く政治家もいるが、高い志を持っている政治家も多い。選挙では、国のことを考え、地域の幸福を思う政治家を選ぶことが大切だ。