大阪舞洲ゆり園と大阪北部地震

2018年6月24日

    2018617、大阪市此花区にある"大阪舞洲ゆり園"に行った。

午後130分、舞洲ゆり園に行くと、1800台ある駐車場はほぼ満車になっていた。大阪湾の向こうに六甲山が見え、ゆり園には白 表示・赤・黄色・ピンク色 表示250万輪のゆりが咲いていた。キッズパーク、遊覧ヘリコプター 表示もあった。

618日午前758分、自宅のある伊丹市から吹田市江坂に行く途中、車がドンと落ち込んだ。一瞬、車がパンクしたのかと思った。前を見ると、シルバー色で縦長の大型冷凍車が、右に左に大きく揺らいでいた。突風か?と思った瞬間、カーテレビから緊急地震速報が流れてきた。大阪高槻市を震源に、震度6弱の地震が発生したという。

午前820分、地下鉄御堂筋線江坂駅の周辺道路や江坂公園は、下を向いてスマホを見る大勢の人たちで、異様な光景となっていた。職場に着くと、30人近い職員が、建物から出て駐車場に避難していた。スマホを見ると、娘から89分、親戚、高校のクラスメートからもラインが入っていた。自宅は電話しても、つながらない状態になっていた。

100名の健診受診予約者のうち、60名が車や徒歩で来られた。中には、新大阪駅のタクシー乗り場が大行列で、レンタカーで来られた受診者もいた。

621日午後6時、大阪市北区にあるクラブ関西で、異業種の会があった。

午後7時から懇親会があり、誕生月が6月の私が、乾杯の音頭をとった。私は「大阪北部地震では、御堂筋線が不通になった。江坂の職場には、職員が新大阪駅から245分かけて歩いてきた。婦長は千里中央駅から3駅、放射線技師長は中津駅から4駅徒歩できた。健診センターは阪神大震災の時も休まず営業した。・・」と挨拶した。

前菜の"イタリア産・仔兎の背肉とフォアグラのゼリーコンソメ"を食べながら、地震の話をした。"Wホテル大阪"元社長は「阪神大震災の時は、西宮市にある自宅が全壊した。ホテルの社長をしていた時で、妻に"お父さんが今一番大事なことは、ホテルを守ることでしょ。すぐにホテルに行ってください"と言われ、自動車に乗って苦労して、なんとか午前7時に大阪にあるホテルに着くことができた」と話された。私も阪神大震災の時は、自宅の書棚・食器棚が倒れたが、家や子供は妻に任せ、すぐに市立伊丹病院に駆けつけた。

622日午後6時、高槻市へ太極拳をしに行った。3階の教室の壁は10か所、天井から床までヒビが入っていた。以前使っていた2階の教室は、天井のクーラーが落ちて使えなくなっていた。大阪北部地震では、死者5人、負傷者408人が出ている。

太極拳をした後、みんなで地震の話をした。私を除く全員が高槻市に住んでおり、「地震当日の水道水は濁っていた」、「私の家は、まだガスが復旧していない」、「芥川商店街のレストランは、ガスが使えないため閉店している」と言う。大手商社OBは「同じ職場だった先輩が、今回の地震で"書棚の下敷き"になって死亡した。商社を早期退職し、講師をしていた。講義のために本をたくさん買っていたのだろう」と話された。

地震が起きるのも、転倒するのも、一瞬の出来事だ。健康で、生きているうちに、美しいものを見て、美味しいものを食べておこう。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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