「日本的経営の見直し」と広島のお好み焼き
2018年7月19日、大阪市北区にある"クラブ関西"で「異業種の会」があった。
午後6時、オタフクホールディングスの佐々木茂喜社長による特別講演「広島発・・世界へ~日本的経営の見直し」があった。広島のお好み焼きというとオタフクソースで、佐々木社長は広島県観光連盟会長や広島経済同友会会長もされている。
佐々木茂喜社長は「オタフクは1922年創業の、醤油や酢の会社だった。戦後、米軍からのメリケン粉で、広島のお好み焼きは始まった。とろみをつけたソースを作った。日本の人口は1.7%でGDPは16~17%ある。100年以上つづいた企業は、欧州6000社、米国1000社に対し、日本は3万社と多い。社長に就任した2005年、グローバルスタンダード(株主・利益・効率・労働派遣・資産蓄積優先)が全盛だったが、私はジャパニーズスタンダード(顧客・従業員・手間ひま・終身雇用・人物優先)を推進した。
2世代、3世代後のことを考えて経営を行うのが、日本的経営だ。企業はファミリーで、会社経営にとって、最も重要なのは人材育成だ。新入社員はキャベツ農場で"栽培研修"、鉄板で何枚も焼く"お好み焼き研修"、野菜・果実をすりおろし、香辛料を入れて鍋で煮込む"ソース手作り実習"を行っている。
毎年、社員と米・味噌・醤油を持って、2泊3日で無人島に行き、夜は社員と話をしている。会議室で話したことは忘れるが、無人島で社長と一緒に話したことは、一生覚えている。偉人から学ぶため"創芸塾"を開催し、7~10年目の選抜した社員と、高杉晋作(山口県萩市)、・・、福沢諭吉(大分県中津市)、渋沢栄一(埼玉県深谷市)ゆかりの街へ行っている。
工場は日本に3か所、海外は米国ロサンゼルス、中国青島、マレーシアにある。グローバルな人材育成にため、ロスで1年半の海外実務実習を行っている」と話された。
午後7時、懇親会があった。スープの"オマール海老のビスク"は蟹のような珍しい味がする。魚料理は"スズキのグリエ 賀茂茄子添え 赤ワインソース
表示"、肉料理は"ヴォージュ産・ウズラのキャベツ包み
表示"だった。
議員さんが「徳永先生の庄原は、大丈夫でしたか?」と聞かれ「広島県庄原市全域の1万5000世帯3万8000人に避難指示(7月6日)がでた。翌日、高校の同級生に電話したら『川北小学校や公民館、庄原小学校などに避難した。スマホを見ながら、徹夜した。西城川の濁流がすごかったが、幸い氾濫しなかった』と言っていた」と話した。
お好み焼きを最初に食べたのは昭和20年代終わりで、家の近くの金福寺小路に小さなお好み焼き屋ができた。水に溶かしたメリケン粉を、鉄板の上に円盤状に広げて焼き、お好みソースをかけたもので5円だった。小学6年生(1961年)の時は、6年A組仲良し4人組
表示で雲龍寺そろばん塾の帰り、市役所通りにあるお好み焼き屋に週3回通っていた。メリケン粉にカツオの粉、モヤシとキャベツと天かすが入ったもので20円だった。月300円の小遣いのほとんどを、お好み焼きに使っていた。
広島のお好み焼きは、広島のソウルフードだ。グローバルスタンダードな経営から、人を重視した日本的経営が見直されている。西日本豪雨被災者のための義援金を集め、会は終了した。