アブラヤ会と「酒と脂は生命の泉」

2018年8月30日

    2018825、大阪市北区にあるリーガロイヤルホテル大阪で「アブラヤ会」が開催され、26名が出席した。

午後6時、ホテル28階にあるサファイアルームの窓から、大阪の高層ビル街が見える。前菜の"涼しげなジュレ仕立て鬼手長海老のミネストローネ"、魚料理の"スズキのポアレ"、肉料理の"牛フィレ肉とクルミのクルートロティ"をつまみに、シャンパン・ビール・白ワイン・赤ワインを飲み食べながら、各自近況報告をした。出席者のうち、勤務医は14名、開業医は9名、大学は3名で、私は5番目に高齢だったが、全員バリバリの現役医師をしていた。

アブラヤ会は、大阪大学第2内科脂質研究室のOBと現役の会で、1978年に入会してから40年になる。当時、コレステロールは低栄養や肝機能障害の指標で、脂質研は消化器に属するわずか6人の弱小軍団だった。日本のアブラヤ(脂質学者)はシオヤ(高血圧学者)に圧倒されていた。食生活の欧米化で、動脈硬化性疾患が増加し、高脂血症や肥満が注目されるようになり、アブラヤ会は急速に勢力を伸ばしていった。

アブラヤ会会長(4代目)の松澤佑次国際動脈硬化学会理事長は、「脂質研には学生の頃、先輩にコンパ(宴会)要員として勧誘され入った」と挨拶された。脂質研には、酒と食べ物で入った人も多い。私は研修医1年目、松澤先生と首藤弘史現箕面市医師会長に誘われて脂質研に入った。研究室には、1升瓶の日本酒が常時置かれており、石川勝憲元国立呉病院院長、松澤佑次先生らが豪快に日本酒を飲みながら議論を戦わせていた。

私も、研修医を伊丹の自宅に招いて御馳走したり、学生や研修医を北新地にあるフランス料理店や焼肉店で奢ったりして、脂質研に入るよう勧誘した。自宅に招いた1年目研修医4人のうち、1人は現日本動脈硬化学会理事長、1人は肥満研究グループの主力メンバー、1人は現在私のいる職場に勤務してもらっている。

アブラヤ会は毎年、宝塚グランドホテル・伏尾温泉不死王閣・箕面観光ホテル 表示などに宿泊し、夜遅くまで酒を飲みながら交流を深めた。アブラヤ会OBは、肥満症診断基準作成や、K政権の時は、内臓脂肪の蓄積を基盤としたメタボリックシンドローム対策のブレインとして随分協力した。

午後820分、北新地にある「穂の河」で2次会をした。穂の河は東京銀座にも支店を出している日本料理店で、後輩の開業医は「従業員12人をつれてよく来ている」と言う。

お造り(鹿児島奄美大島産トロ・愛媛宇和島産しまあじ・和歌山串本産鯛・徳島鳴門産鱧・兵庫明石産たこ)、串本産鮑のバター焼、脂ののった長崎対馬産のど黒塩焼き、鳴門産鱧天婦羅、静岡浜名湖産鰻の蒲焼きをつまみに、日本酒の獺祭・久保田萬寿・八海山を飲みながら話をした。

超高額医薬品の中国への転売、黒岩祐治神奈川県知事、米山隆一元新潟県知事、前川喜平前文科省事務次官、勝谷誠彦氏などの話で盛り上がり、いつの間にか午後11時になっていた。

アブラヤ会2代目山本章会長は「酒とアブラ(脂)は生命の泉」をモットーとされていた。食通で酒好き、情報通というアブラヤ会の伝統は、今も引き継がれている。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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