最強台風21号・停電と関空水没
2018年9月4日火曜日、最大風速58mの強い台風21号が、神戸市に上陸した。職場は全日休診にしたので、1日中自宅で過ごした。
午後1時30分、雨風が急に強くなってきた。雨が横殴りに降って来て、庭の土の部分は水が溜まり、池のようになった。ベランダからはがれた屋根が、道路の向こうから我が家の方に向かって飛んできた。あわやマイカーにあたりそうになったが、幸い車の被害はなかった。
自宅のガレージの屋根が、強風で10cm近く膨らむことを繰り返す。屋根が飛んでいき、他の家の被害を与えないか心配しながら、ずっと見ていた。伊丹に住んで42年、こんなに怖い台風はなかった。午後2時5分、停電になりテレビが見られなくなったが、5分で回復した。
午後4時30分、テレビで関空第一ターミナルの滑走路が水没し、タンカーが連絡橋に衝突している映像が流れた。1994年9月4日、関空は開業24周年を迎える。多くの人が苦労して作った関空が、3mの防波堤を越え3.29mの高潮で水没した。
関西空港建設に従事し若くして亡くなった友人に、関空内を案内してもらったことがある。1994年10月8日、JR天王寺駅で待ち合わせ、"関空特急はるか"でJR関西空港駅に行った。友人は「関空は水を多く含んだ砂の上に建っている。毎年沈下するので、少しずつ上げる難しい工事をつづけなくてはいけない。・・・漁業権があり、漁業者に対し補償費を支払わなくてはならない。漁業をしたこともない人や、後から住み始めた人も補償を求め、漁業権補償費が膨らみ続けている」と話してくれた。
帰りは、南海特急"ラピート"で難波駅に行き、焼肉と金龍ラーメンを食べた。関空建設で、漁業者への補償費は1000億円を超えている。
関空開港前には、「C派やKマルなど過激派が、JR阪和線でテロを計画しているという情報が入っている。JR阪和線沿い、特にJR日根野駅周辺は厳重に警戒している」と言っていたが、テロを未然に防ぐことができ、関空は無事開港した。
成田空港闘争も、関西空港闘争も、新左翼系は軍事基地化に反対していたが、両空港とも現在の所軍事利用されていない。M党政権の時は、左ではなく右のJ党がT空港建設に反対している。関空反対は、政権政党に対する反対のための反対だったのかもしれない。
午後5時、eo光が突然つながらなくなり、テレビもネットも見えず、電話もかからなくなった。何もすることがない退屈な夜になった。デジタル情報が全く入らない日が3日間つづき、翌日水曜日は映画「カメラを止めるな」、翌々日木曜日は映画「コード・ブルー:ドクターヘリ緊急救命」を観に行った。
関西では218万3000戸が停電した。同じ町内の友人宅は、停電が3日間つづき蝋燭の光で生活、冷蔵庫も使えなくなり、風呂も冷たいシャワーですましたという。道路の信号機はつかなくなり、神崎橋は通行止めになった。関空も水没して停電となり、8000人が取り残された。
9月6日木曜日午前3時8分、北海道胆振地方中東部の厚真町で、震度7の大地震があり、北海道全295万戸が停電した。停電ではテレビやネットが使えないので、紙媒体の新聞の方が役に立つ。電子媒体の脆弱性を痛感した3日間だった。