石川軍団と腹囲測定部位
2019年3月15日、「大阪大学第二内科同窓会員 石川勝憲先生(本学 昭和37年卒)(享年81歳)が平成31年3月13日(水)にご逝去されました」とFAXで訃報が届いた。
石川勝憲先生は、肥満研究の師匠になる。石川先生は、島根県邇摩高校出身で、昭和38年(1963年)阪大に肥満外来を創設された(メタボ教室第399段「山本五十六と大阪大学肥満外来創始者」)。石川先生を初めて知ったのは、阪大病院研修医1年目の時で、140kgの若い女性を3か月間受け持った。
卒後2~4年の公立学校共済組合近畿中央病院内科研修医時代は、受け持ち10人、外来週2回、当直月1~2回、9時~5時勤務の楽しい時代だった。内科部長の「開業する前に一度、大学の雰囲気も味わっておくのもいいぞ」というアドバイスで、1978年7月1日、阪大2内脂質研に入局した。
石川勝憲脂質研チーフから、直接指導を受けることになった。腰掛けで大学に帰局した私だったが、入局して間もない肥満児検診で甘い考えは打ち砕かれ、徹底的に鍛えられることになった。
1978年7月13日午前5時半起床、近畿自動車道・西名阪自動車道を通って奈良県の中学校に行き、18人にブドウ糖負荷試験を行なった。ブドウ糖負荷前、負荷後30分、60分、90分、120分、180分の1人6回採血するので、108回採血することになる。30分に18人と時間が決められているので、時間に追われ修羅場のような忙しさだった。採血だけでも大変なのに、大学に血液を持ち帰り遠沈分離し、夕方にはへとへとになった。
阪大の肥満外来や肥満児検診では全員、皮厚計
表示で上腕背側・肩甲骨下部・臍横部の皮下脂肪厚を測定、巻き尺で上腕囲・胸囲・腹囲(臍の高さ)を立位で測定していた。1980年5月から開始した"CTスキャンによる脂肪測定"でも、石川先生の方法にならい、臍の高さを基準として腹部内臓脂肪面積
表示(徳永他:Int J Obes 1983)を測定した。
1979年には、広部一彦先生が成人病センターから加わられて循環器脂質研となり、松澤佑次先生も米国留学から帰国され、豪傑ぞろいの研究室になった。体育会のつながりで研究室に来た人も多く、阪大2内の研究室対抗野球大会では、いつも循環器脂質研究室が優勝していた。
石原軍団(石原裕次郎・渡哲也ら)とよく似た"石川軍団"ができたと感じた。石川軍団の中では、私は神田正輝のような存在だったのかもしれない。研究室の後輩の上戸寛君に「徳永先生は神田正輝に似ていますね。特に、目元がそっくりですね」と言われたことがある。叔母(写真
表示左、1994年5月1日ハワイ親族旅行にて)にも、「神田正輝に似ている」と言われた。
石川軍団では、研究室員とその家族で、1978年7月27日愛知県伊良湖恋路ヶ浜旅館黒潮、1979年2月11日兵庫県柴山民宿など一泊旅行に出かけた。1982年7月24日、岡山県日生鹿久居荘(写真
表示最後列中央:石川勝憲先生)に宿泊した時は、余興で私は小さな子供たちと一緒に西城秀樹のYMCAを歌いながら踊った。
51年前、阪大肥満外来を創設された石川勝憲先生が、81歳でご逝去された。立位、臍の高さで腹囲を測定するという石川先生の方法は、現在も特定健診・保健指導という形で生きつづけている。