新元号「令和」と明日香村・犬養万葉記念館

2019年4月 8日

    201941日、新元号が「令和(れいわ)」と決定した。

午前1141分、菅武偉(すがよしひで)官房長官が"令和"の墨書を掲げられた。令和の出典は「万葉集」巻五で、"梅花の歌三十二首併せて序"の「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」から二文字をとってある。犬養万葉記念館の岡本三千代館長や、上野誠奈良大学教授(メタボ教室第317段「奈良万葉びとの恋心」)らが、テレビのインタビューに応じられていた。

46日、奈良県明日香村にある「犬養万葉記念館」に行った。午前1020分、伊丹市を出発。阪神高速・南阪奈道を通り明日香村に入った。飛鳥川沿いなど、明日香村の至る所で桜の花が満開になっている。

午後010分、犬養万葉記念館 表示に着くと、入口に生前使用されていた車椅子 表示が置かれてあった。館内には、新元号「令和」の由来と、万葉集の展示 表示があった。故犬養孝先生は万葉集の第一人者で、万葉集に登場するゆかりの地をすべて歩き、万葉集の普及に貢献されている。私は阪大教養部時代、犬養孝教授の「万葉集」の講義を受講していた。

昭和4471920日の犬養孝万葉の旅一泊旅行には、大学のクラスメート3人で参加し、719日は壷阪寺で夜遅くまで住職と話をして宿泊。翌20日、犬養孝教授による「万葉集」の講演を聴いた。

昭和501024日に神戸市六甲荘で開催された「第11回中央病院学会」は、公立学校共済組合近畿中央病院が担当し、犬養孝先生に「万葉集」の特別講演をお願いした。犬養先生は「いとしい人から貰った物は特別なもので、同じ時計でも"お時計"になる」と話された。

昭和54124日、昭和天皇が明日香村を訪れられた時、犬養孝先生は「陛下、あれが香久山でございます。・・」と御進講 表示をされている。平成10103日、犬養先生は阪大2内の関連病院の県立西宮病院で、91歳で息を引き取られた。

午後2時、明日香村にある国営飛鳥歴史公園甘樫丘(あまかしのおか)地区 表示に行った。甘樫丘は、蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子の大邸宅があった所で、甘樫丘展望台は藤原京・飛鳥京を最も近くから展望でき、犬養孝先生一押しの場所だ。"あすか夢の楽市"に駐車し、万葉の植物を見ながら、緩やかなスロープを、標高148mの甘樫丘へ登って行った。

山頂 表示は平坦になっており、桜は満開になっていた。北は藤原京、天香久山、耳成山を望め、その左手には灌漑用の和田池、孝元天皇御陵の剣池が見える。東は飛鳥京にあたる。西は遠く葛城山など高い山が連なっている。

帰りは急な坂道の階段を下って行った。中腹に、明日香村にある15の犬養孝万葉歌碑のうち、犬養先生が最も気に入られていた志貴皇子の「采女の 袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたづらに吹く 孝書」(巻1-51)の万葉歌碑 表示があった。都が飛鳥京から藤原京に遷り、志貴皇子(天智天皇の第七皇子)が古都飛鳥への想いを詠んでいる。

奈良県明日香村にある「犬養万葉記念館」周辺の桜は満開になっていた。51日から施行される新元号「令和」は、日本の四季のうつろいの風土の中から生まれた万葉集から引用されている。

徳永勝人 医師
(とくなが かつと)
医学博士


1968年
広島県立庄原格致高校卒業
1974年
大阪大学医学部卒業

内臓脂肪型肥満、
標準体重=身長X身長X22
を提唱する肥満の
第一人者として活動中。

1983年-1985年
南カリファルニア大学
研究員
大阪大学第2内科講師
市立伊丹病院内科部長
大阪大学臨床助教授
兵庫医大実習教授
を経て
高槻社会保険健康管理センター
センター長として勤務

日本肥満学会肥満症診断
基準検討委員会委員
日本糖尿病学会評議員
日本動脈硬化学会評議員

NHK「きょうの健康」での
講師を務める。
著書に
  「肥満Q&A
  「食事で防ぐ肥満症」
 
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