広島県人会と皆保険制度・鶴岡一人球場
2019年6月9日、大阪市都島区にある太閤園で、「近畿広島県人会」が開催され、230名が参加した。
午後10時自宅を出発、JR伊丹から尼崎駅でJR東西線に乗り換えると、近畿広島県人会元会長(三次市出身)が乗っておられ、大阪城北詰駅まで話をした。「庄原は偉い人が多い。国民皆保険制度を作ったのは、庄原市出身の永山忠則自治(総務)大臣だ。永山忠則はタカ派だが、社会主義的な所がある。誰でもが医療を受けられるように皆保険制度を作った。永山忠則がいなかったら、日本に皆保険制度はできていなかった」と言われた。
私は、「永山忠則さんが自治大臣になった時、庄原格致高校に来られた。生徒1000人が一列に並んで、握手をした。永山さんの手が柔らかかった感触を今でも覚えている。夜は庄原の街で、提灯行列をした」と話した。永山忠則さんは初代庄原市長で、衆議院議員時代は国民健康保険中央会会長を長く務められていた。7歳下の武見太郎日本医師会長と仲が良く、国民皆保険制度を作られている。
午前11時30分、近畿広島県人会「ふる里ふれあいまつり~魅せちゃれ!ひろしまの底力」が始まった。
田邉昌彦広島県副知事は「先日は、令和になって初めて避難勧告の"レベル4"が広島県に出された。昨年7月は、県内各地で記録的な豪雨により、戦後最大級の被害がもたらされた。皆様には、多大なるご支援をいただいた。広島カープは、4月は低迷していたが、鯉の季節とともに首位に立った。このまま優勝してくれるだろう。サンフレチェ広島のサッカースタジアムは郊外の不便な所にあったが、広島城の隣りに建設することが決まった」と来賓挨拶をされた。
午前0時30分、懇親会があった。千福(呉市)、賀茂鶴(東広島市)、酔心(三原市)の鏡割り
表示があった。新原芳明呉市長の所に行き、「西日本豪雨災害の時は、新原さんが天皇・皇后両陛下や安倍晋三総理大臣を案内されているのをテレビのニュースで見ました」と挨拶に行くと、「大阪からは、DMAT(災害派遣医療チーム)など救援に来ていただきました」と言われた。
アトラクションは、広島県呉市を本拠とする"Japanese Drum 和☆Rock
表示"によるライブだった。和太鼓・篠笛・琴・ギター・ドラムで、「ファイト!」、「それ行けカープ」など7曲を演奏された。
新原芳明呉市長(写真中央)は「呉市ゆるキャラ"呉氏(くれし)
表示"の上の突起物は、瀬戸内海の波を表している。呉市の呉二河球場は、"鶴岡一人記念球場"に名称を変更した」と、挨拶された。鶴岡一人は南海ホークス(現福岡ソフトバンク ホークス)の名監督で、プロ野球史上最多の1773勝を挙げ、親分と呼ばれていた。
昨年、異業種の会で、南海ホークスOBのパリーグ元監督は、「鶴岡一人監督は選手を叱るとき、相手によって叱り方を変えていた。広瀬叔功は、叱られると燃えて力を出すタイプだったので、みんなの前で叱っていた。野村克也は、叱られると落ち込むタイプなので、一人別室に呼んでいた。今では恒例になっているビールかけは、日本シリーズで鶴岡監督率いる南海が巨人を破って優勝した時が最初だ」と話されていた。
午後3時、全員で"ふるさと"を合唱し、近畿広島県人会は幕を閉じた。