奈良慈光院と研修医時代の夏休み
2019年9月21日、奈良県大和郡山市にある「慈光院」に行った。
午前10時25分、伊丹の自宅を出発。阪神高速・第二阪奈道を通り、臨済宗大徳寺派「慈光院」に着いた。24℃と涼しく曇っていて、苔むした古寺を訪ねるには、絶好の観光日和だ。慈光院は、同級生の故池添潤平愛媛大学教授お気に入りの寺で、阪大病院放射線科時代、ボーと1~2時間過ごしていた。
午前11時35分、急な石畳の坂道を登ると、慈光院の山門
表示があった。慈光院は、1663年、大名で茶人の片桐石州によって建立されている。
慈光院に入り、「書院」に行くと、きれいに整えられた庭園があった。書院の赤い絨毯の上で、茶菓子(家紋:弓矢の羽根を組み合わせた形)と、お抹茶をいただきながら、庭園
表示を眺めた。白砂が敷かれ、左にはサツキ1種類のみの丸刈りが、中央には三段になったサザンカが、右には"数十種類の木々の寄せ植えを丸刈りにしたもの"が見える。
サンダルをはいて、庭を散歩した。池には数十匹の小さな赤い金魚が泳いでおり、大きな木の根っこの上に、赤とんぼがいた。赤とんぼ
表示の体は、本当に真っ赤な色をしている。地面をよく見ると、蟻がたくさんおり、庭木の葉の上には、蝶々が何十匹もとまっていた。
「本堂
表示」に行くと、中庭の奥に複雑な形をした五葉松
表示があった。鳥のさえずりが、絶え間なく聞こえてくる。縁側に坐って、この五葉松を眺めているだけでも、ゆったりとした時間を過ごすことができる。
故池添潤平君とは、阪大病院研修医になりたての6ヶ月間、お互いの患者の代理をする相棒だった。池添君の口癖は「実践医学」で、初めて当直バイトをしたのも池添君とだった。研修医になって16日目で、当直料は半分ずつに分けた。
研修医時代の夏休みは、同級生とよく旅行に行ったものだ。研修医1年目は、1974年8月2日(金)から3泊4日で、F君と軽井沢に行った。2年目は、1975年7月29日(火)から1泊2日で、F´君と岐阜県白川郷に、8月22日(金)から5泊6日で、A君、F君、M君と4人で北海道遠軽町に行った。3年目は、1976年7月18日(日)から3泊4日で、M´君、O君と3人で信州白馬に、7月29日(木)から3泊4日で、F君、T君と3人で島根県隠岐の島に行った。
故池添君とは、研修医3年目の夏休み、1976年8月15日(日)から3泊4日で、能登半島一周旅行を計画していた。直前の8月8日(日)、「どうしても高知(土佐高出身)に帰らなくてはいけない用事ができ、行けなくなった」と池添君から電話がかかってきた。
ぽっかり空いた4日間、広島県庄原市に帰省すると、伯母からお見合いを勧められた。8月17日(火)、庄原市に隣接する府中市にある出雲大社支社でお見合いをし、結婚をした。もし、池添君と能登半島旅行に行っていたら、妻とお見合いすることもなく、子も孫も存在しなかった。
奈良慈光院は、苔むした高い樹木に囲まれ、整えられた庭園があった。虫・魚・鳥など、都会では味わえない自然のよさがある。森林浴は、免疫力を高めるNK細胞を活性化させると報告されている。古寺の静寂の中にいると、いにしえの記憶が蘇る。"私の人生は、多くの偶然の重なりで成り立ってきた"とつくづく感じた。