大学クラス会と適正な定年年齢
2019年9月28日、大阪市北区にある"大阪大学中之島センター"で「阪大医学部昭和49年卒同窓会」開催され、100名中43名が出席した。
午後6時、亡くなった8名の黙祷で始まった。8名中3名は臨床系の教授で、在任中に亡くなっている。出席者全員(70~71歳)が近況報告をした。43名中42名(98%)が現役で働いており、1人のみ病気でリタイアしていた。食道がん、腎臓がん、悪性リンパ腫になった人も完全復帰し、元気に働いている。癌も治る病気になった。
42名中、26名が勤務医、16名が開業医(うち病院長3名)だった。勤務医26名中17名が常勤医(うち2名が私立病院長、病院勤務医3名、診療所長4名、健診センター長2名、産業医1名、老健施設長1名、大学教授・研究所長4名)で、週4~6日働いている。非常勤医は9名(病院勤務医7名、健診センター勤務医1名、診療所勤務医1名)で週1~3日働いていた。
常勤勤務医と開業医を合わせると、43人中33人(77%)が週4~6日のフル勤務をしていた。「今でも当直をしている」と話す病院勤務医や、「朝8時から、夜9時まで働いている」と話す診療所勤務医がいた。一番ハードだったのは、私立病院勤務の病院長で「週3日外来、受け持ち患者を30人持っている。今日(土曜日)も重症患者がいて、同窓会に遅れそうになった」と言う。
懇親会は、和やかな雰囲気で進んだ。T君がスマホで、私のブログ(メタボ教室第747段「研修医時代の夏休み」)を見せてくれ、1975年の北海道旅行の話をした。同級生のT君とT´君の2人が、北海道遠軽町にある遠軽厚生病院に卒後2年目の研修に行っていた。
特急列車に乗って札幌から遠軽まで、今回の同窓会幹事をしたA君、F君、亡くなる直前まで信州の無医村で診療していたM君の4人で行った。遠軽病院宿舎に泊まり、車で北見・美幌峠・屈斜路湖・摩周湖・川湯温泉・原生花園・網走刑務所・常呂・サロマ湖・層雲峡・旭川・富良野など巡った。遠軽では、寿司のネタが大阪とは全く違っており、ジンギスカン料理も食べた。
今年6月(2019年6月)、ホテル阪急インターナショナルで、大手生命保険会社元会長と会食した。私が「生保レディの定年は何歳か?」と聞くと、「75歳だ。75歳になっても元気いっぱいで、もっと働きたそうな生保レディが半数はいる」と答えられた。女性の定年は、75~80歳になってもよさそうだ。
銀行OBの友人は「公務員をはじめ、定年まで給料が上がりつづけることが、高齢者の雇用を妨げている。銀行は55歳定年で、55歳からは給料が下がる。高齢者の給与を段階的に下げると、会社も高齢者の雇用をしやすくなる」と言う。給与は55歳を頂点にし、55歳以上の労働者の給料を下げていくと、高齢者の雇用は増え、労働者不足は改善するだろう。
今の高齢者は75歳くらいまで元気で、仕事量を減らせば、十分働くことができる。日本は、少子高齢化による労働力不足で悩んでいる。"定年を男性は70~75歳、女性は75~80歳にすると、日本の労働力不足は改善する。55歳以上の高齢者の給与を下げ、子供の教育にお金がかかる35~55歳の給与を上げるとよい"と思った。