ドラマ「半沢直樹」と私の若き医師時代
2020年9月20日、Mテレビでドラマ「半沢直樹」第9話を観た。
半沢直樹2013年、当時の職場の事務長はM銀行OBだったので、「原作者の池井戸潤は、M銀行大阪西支店に勤務していた」、「金融庁の調査はテレビとそっくりだ」、「伊勢島ホテルは〇〇観光ホテルだ」など、具体的なモデルを教えてもらった。
午後9時、日曜劇場「半沢直樹」が始まった。半沢直樹(堺雅人)は、箕部幹事長(柄本明)、中野渡頭取(北大路欣也)、大和田(香川照之)の所に行き、不正の公表・謝罪を訴える。箕部は半沢に土下座を要求、大和田は半沢の手を床に着かせ、馬乗りになって背中を押したが、半沢は立ち上がって拒否し、「この借りは必ず返します!やられたら、やり返す!倍・・いや3人まとめて1000倍返しだ!」と啖呵を切る。
半沢直樹が啖呵を切っている場面を観ると、私の若き医師時代を想い出させる。
K病院で研修医をしていた時、3階病棟の詰所の奥にあるカンファレンスルームに行くと、看護師さんが鼻血を出して泣いていた。「何かあったのか」聞くと「患者さんに顔を殴られた」と言う。他の看護師さんに聞くと、「採血するとき"痛い"と言って、3人の看護師さんが殴られた」と言う。
研修医3人で上司の所に行き「警察に訴えるか、退院させたらどうか」と談判に行くと、「事を荒立てたくない。もう少し様子をみて考えよう」と返答された。
朝の点滴当番で、その患者さんの所に行った。いかにも恐そうな眼光の鋭い強面の顔だった。点滴をしようとすると、「痛、痛、痛」と針を刺す前から痛がる。私は思わず「針を刺されるぐらいで、痛いなどと言うな!」と啖呵を切った。怖い顔で睨み返された。
それから数日間、仕返しに来ないかと不安だったが、その後何事も起こらず、看護師さん達からすごく感謝された。
市立病院で当直をしていると、午後8時ソセゴン(ペンタジン:薬物依存性のある鎮痛剤)中毒患者が「お腹が痛いので注射をしてくれ」とやってきた。
私は、ソセゴン中毒患者にソセゴンをしてはいけないと教わっていたので、その患者に生理食塩水、鎮痛薬、精神安定薬を1時間ごとに注射した。午後11時、「いつもの注射をしてくれ」と言われたので、私は思わず「ソセゴン中毒患者には、ソセゴン注射はしない」と啖呵を切った。すると「啖呵を切ったな。市長に訴えてやる」と捨て台詞を残して帰って行った。
それから何日間か心配していたが、看護師さんから「あのソセゴン中毒の患者さん、その日の当直の先生の名前を聞いて、徳永先生の時は来ないようにしていますよ」と聞き、安心した。
半沢直樹は、ここぞという場面で言ってほしい台詞を、顔の表情と力強い声で表現してくれ、気分が爽快になる。半沢直樹の強いものに対して啖呵を切るところは、私の若き医師時代の熱い血潮を呼び起してくれる。