「初めての大阪旅行」とベーシックインカム
2020年10月31日、11月1日の「大阪都構想」投開票まであと1日となった。
2000年代前半、私たち「Tの会」(メタボ教室第819段「大阪都構想」)20名は、大阪市内を4つの区に分けるのではなく、大阪府全体を「大阪都」にするか、大阪市とその周辺都市を含め「大大阪市」にするか考えていた。
区割りは、24区を3区ずつの8つに分け、一つの区を東京と同じ30万人程度にしようとしていた。2019年の大阪市の生活保護率は5.07%と全国平均の1.66%に比べ3倍、西成区は23.3%で14倍になっている。
大阪市の生活保護の60%は他府県から来た人だ。大阪市の生活保護率は、1995年の1.80%から2005年の4.02%と10年間で2.2倍に急増している。
私が初めて大阪に行ったのは、中学2年終わりの春休みだった。1964年3月27~31日、父と2人で「初めての大阪旅行」をした。
3月27日午前10時7分、広島県備後庄原駅を出発、芸備線準急"しらぎり"で岡山県新見駅に11時42分到着。午後1時17分新見を出発、伯備線急行"だいせん"で岡山から大阪に向かった。大阪梅田の"商都ホテル"に宿泊した。
3月28日、地下鉄御堂筋線で帝塚山にある伯父の家に行った。塀に囲まれ、広い庭に松の木がある豪邸だった。伯父は阪大医学部卒で、同級生の内藤儁阪大耳鼻科教授には、阪大医学部入学後、大変お世話になった。午後2時、地下鉄動物園前駅(西成区)で下車し地上に出ると、仕事にあぶれた日雇いの人達が大勢たむろしていた。8~10人の日雇いの人達の集団がいくつもあり、それぞれの集団の中心部では賭け将棋をしている。道を埋め尽くした人の群れをかき分け、ジャンジャン横丁から通天閣に行った。
3月29日、地下鉄で淀屋橋の"美津濃"に行き、20kgのバーベル・ダンベル・エキスパンダ―など体を鍛えるスポーツ用品を買い郵送してもらった。地下鉄で難波に行き、大阪球場で野球を観戦し、戎橋筋・心斎橋筋を見学した。
3月30日、大阪で映画を観て、阪急電車で四条河原町に行き、新京極など見学し、"白東閣"に宿泊した。3月31日、京都駅午前10時20分発急行"だいせん"で新見に行き、準急"しらぎり"で午後6時54分庄原駅に着いた。
庄原格致高校の先輩は、近畿庄原格致会で「これからAI導入で、職を失う人が多くなる。失業手当・生活保護・年金は廃止し、ベーシックインカムを導入すべきだ」と強く主張された。日本で暴動を起こさないためにも、ベーシックインカム(最低生活保障)を本格的に検討する時期に来ているのかもしれない。